この記事では、京都三大祭りの一つに数えられる葵祭(賀茂祭)についてわかりやすく紹介しています。毎年5月15日に行われる祭りなので、5月に京都旅行を計画される方はぜひ一度目を通してくださいね。
葵祭(賀茂祭)とは
葵祭は、日本の京都市で行われる伝統的な祭りであり、京都三大祭の一つとして知られています。この祭りは、京都御所から下鴨神社・上賀茂神社へ向かう行列が特徴的です。行列は、総勢500名を超え、平安時代の絵巻巻物のように装飾され、新緑の都大路を歩いていきます。
葵祭は、京都で最も古い祭りの一つであり、毎年5月15日に開催されます。この祭りの特徴は、行列のすべてに葵の葉が飾られていることです。葵の葉は、神聖なものとして崇拝されており、古くから皇室の儀式などで使われてきました。
葵祭の行列は、古代日本の王朝文化や風習を再現することを目的としており、平安時代の衣装や道具、装飾などが使用されます。行列には、近衛兵や公家、巫女、力士、騎馬武者などが参加し、踊りや歌などが披露されます。
葵祭は、日本の伝統文化や歴史を体験できる貴重な祭りの一つです。毎年多くの人々が訪れ、祭りの雰囲気や華やかさに魅了されています。
葵祭(賀茂祭)の名前の由来
葵祭の名前の由来は、行列や御所車、勅使、供奉者の衣装に飾られる緑の葉である「葵桂」にあります。葵桂とは、桂の小枝に下鴨神社と上賀茂神社の神紋である二葉葵の葉を絡ませたものです。この緑の葉が葵祭で使われる葵の由来となっています。
元々は、「賀茂祭」と呼ばれていた葵祭ですが、江戸時代に再興された際に、葵の葉を飾るようになり、「葵祭」と呼ばれるようになりました。葵祭は、京都の下鴨神社と上賀茂神社を結ぶ行列が特徴で、総勢500名を超える参加者が平安時代の装飾や衣装を身に着けて、新緑の都大路を歩きます。
葵祭で使用される葵は、毎年両神社から御所に納められます。葵の葉は、神聖なものとして崇拝されており、古くから皇室の儀式や神事などで使われてきました。葵祭は、日本の古代文化や風習を再現することを目的としており、多くの人々がその雰囲気や華やかさに魅了されています。
葵祭(賀茂祭)の歴史
葵祭(賀茂祭)の起源は、太古の昔、下鴨神社の北北西にある神山(こうやま)に別雷神(わけいかづちのかみ)が降臨し、綵色(いろあや)を飾り、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったことから始まりました。
平安時代には、国司(現在の知事)が毎年祭場に臨んで祭が無事執り行われているか検察するように勅命が下され、勅祭として賀茂祭が始められました。その後、斎宮の制に準ずるようになり、中祀に準じ斎行されるようになりました。
貞観年中には勅祭賀茂祭の儀式次第が定められ、壮麗なる祭儀が完成しました。しかしその後、中世に入ると祭儀は衰微していき、応仁の大乱以降は全く廃絶しました。しかし江戸時代に至り、上賀茂・下鴨両社の熱意と朝廷・公家の理解と幕府の協力により再興され、現在に至っています。
葵祭は、現在も京都の古代祭祀や文化を伝える重要な祭りであり、行列は昭和15年に整備され、昭和28年に復活し、更に昭和31年には斎王代を中心とする女人列も復興され、現在まで続いています。祭日も、かつての4月吉日から新暦の5月15日に変更されています。葵祭は、豪華で美しい行列や装飾品、そして歴史や伝統に溢れた祭りであり、多くの人々に愛されています。
葵祭(賀茂祭)が始まったきっかけ
当時、風水害によって稲が育たず不作に終わることが相次いでいました。そこで欽明天皇が占いをさせたところ、度重なる凶作の原因は、五穀豊穣をつかさどる賀茂の神様の怒りだと判明しました。そのため、賀茂の神様の怒りを鎮め、豊作を祈願するため、馬に鈴を付けて走らせたそうです。この流鏑馬が、賀茂祭の始まりとされています。
葵祭(賀茂祭)の見どころ
路頭の儀
平安王朝の装束
葵祭の見どころは、「路頭の儀」と呼ばれる、天皇の使者である勅使が下鴨神社と上賀茂神社に参向する行列です。行列には、近衛使(勅使代)、検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、古代の貴族たちの装束を身にまとった500人以上が参加します。行列は、京都御所の建礼門前から出発し、馬36頭、牛4頭が加わり、平安貴族の姿を再現した王朝絵巻のような風景が展開されます。特に、貴族の衣装に注目すると、日本の伝統的な美意識を感じることができます。
御所車・風流傘
葵祭の行列には、さまざまな乗り物や道具類が使用されます。その中でも、特に目を引くのが「御所車」と呼ばれる牛車です。この車は、薄紫色の藤の花の飾り付けが施され、ゆっくりと進みながら揺らめきます。また、大きな傘の上には、美しい牡丹や杜若などの花が飾られた「風流傘」も登場します。行列を盛り上げるため、様々な道具類も使用されます。葵祭の行列を見ることで、古き良き日本の美意識を感じ取ることができます。
路頭の儀は何のために行われるもの?
葵祭(賀茂祭)では、天皇が国の平和を願い、使者である勅使を賀茂社に派遣して祈りを捧げます。この勅使の道中の行列が「路頭の儀」と呼ばれる行事で、その行列や勅使が賀茂社で捧げる祈りが「社頭の儀」と呼ばれる儀式です。現在の葵祭でも、下鴨神社と上賀茂神社に着いた際に、それぞれの社で古来から変わらず行われています。このように、葵祭は古くから続く神事であり、勅使や行列など、歴史的な要素が色濃く残る祭りのひとつです。
葵祭の主役・斎王代
葵祭の中でも注目すべき主役が、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)をまとった斎王代です。彼女たちは腰輿(およよ)という輿に乗って登場し、葵祭のヒロインとして輝きを放ちます。平安時代には天皇の皇女や姉妹など「斎王」として祭に奉仕していましたが、鎌倉時代に途絶え、その後は復活することはありませんでした。しかし、昭和31(1956)年に葵祭を盛り上げるために市民から斎王代が選ばれ、女人列が復活しました。斎王代たちは、着物や髪型など全身から古都・京都の華やかさを感じさせる装いをして、葵祭の祭典を彩っています。
斎王代はどのような存在?
「斎王代」は葵祭のヒロイン的存在です。斎王代は、平安時代に天皇の皇女や姉妹などが賀茂社に奉仕する「斎王」と呼ばれる役割を担っていました。しかし、この役割は鎌倉時代に途絶えてしまいました。その後、1956年に葵祭を盛り上げるために、京都市民の未婚女性から毎年1名が選ばれ、その役割を担うようになりました。斎王代は、葵祭の行列の中で十二単の衣装を身にまとい、美しく装飾された輿に乗って登場します。斎王代は、斎王の代わりとして、葵祭を盛り上げる重要な役割を担っています。
葵祭のヒロインである「斎王代」は、毎年京都市民の未婚の女性から選ばれます。彼女たちは、5月4日に行われる「斎王代女人列御禊神事」で、女人列に奉仕する女性たちとともに身を清めます。そして、15日の「斎王代列」では、美しい十二単を身にまとい、「腰輿」と呼ばれる輿に乗って、優雅に都大路を進みます。この行列は葵祭のクライマックスを飾るものであり、多くの人々がその華やかな姿に魅了されます。
多彩な神事
葵祭は、平安貴族の装束を身にまとった人々が繰り広げる行列が有名ですが、他にも多くの儀式が開催されます。5月1日には、競馬の儀式である「競馬足汰式(くらべうまあしぞろえしき)」が行われます。5月3日には、弓を射る神事である「流鏑馬(やぶさめ)神事」が、5月4日には、斎王代女人列御禊神事など「前儀」と呼ばれる儀式が、下鴨神社や上賀茂神社で行われます。これらの儀式は、葵祭を彩る重要な行事の一部です。
葵祭(賀茂祭)の日程(スケジュール)
競馬会足汰式(くらべまえあしぞろえしき)
5月5日に行われる「賀茂競馬(かもくらべうま)」本番に先立ち、5月1日には「競馬会足汰式(くらべまえあしぞろえしき)」という儀式が行われます。この儀式は、競馬に出走する馬の優劣や組み合わせを決めるために行われ、京都市無形文化財にも登録されています。
儀式は上賀茂神社の馬場殿前で行われます。騎手たちは烏帽子に浄衣の装束をまとい、馬に乗り込んで実際に試走を行います。年齢や遅速などを見て、馬の組み合わせを決めるための重要な儀式となっています。
その勇壮な姿は迫力があり、競馬ファンだけでなく、多くの人々がこの儀式を見るために集まります。
- 日時:5月1日 13時頃~
- 場所:上賀茂神社
流鏑馬神事
5月3日に行われる「流鏑馬神事」とは、葵祭の道中の無事を祈ってお祓いをする神事です。下鴨神社の糺の森にある馬場で、公家の装束(束帯)を身にまとった射手が、疾走する馬の上から、的を射抜くという、非常に見ごたえのある人気の行事です。このように、公家装束を着用しての流鏑馬は他では見ることができません。
矢が的に的中すれば、五穀豊穣や諸願成就を願う人々の願いが叶うと言い伝えられています。この神事は、流鏑馬という武術の技と、神道という宗教的な要素を合わせ持つ、独特なものです。流鏑馬神事が行われる時間帯は、下鴨神社周辺は大変な混雑となりますが、その迫力ある光景を一度は目にしておきたいものです。
- 日時:5月3日 13時~15時30分
- 場所:下鴨神社
斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)
斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)は、葵祭の中でも重要な儀式の1つで、斎王代と女人列に参加する40人の女性が、御手洗池に手を浸して身を清める儀式です。この儀式は、下鴨神社と上賀茂神社の両社で毎年交替で行われます。斎王代は、厳粛な儀式に参加する前に、清めを受けることが求められます。女人列の40人も、斎王代と同様に、清めの儀式に参加することで、神事に臨みます。御手洗池の水は、清らかで神聖なものとされており、身を清めることで神様からの恩恵を受けると信じられています。
- 日時:5月4日 10時~
- 場所:上賀茂神社・下鴨神社(一年交替)
歩射神事(ぶしゃしんじ)
葵祭の中でも、下鴨神社で行われる「歩射神事」は、邪気を祓い、沿道を清める魔除けの神事です。古代には馬上から矢を射る「流鏑馬」が行われていましたが、歩射神事では地上から弓を鳴らす「蟇目式」や、屋根を越えて鏑矢を飛ばす「屋越式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百々手式」が行われます。それぞれの儀式は、魔除けや災いを払うために行われ、見物人には迫力ある光景を見せてくれます。葵祭の華やかな行事の中でも、力強い神事として注目されています。
- 日時:5月5日 11時~
- 場所:下鴨神社
賀茂競馬(かもくらべうま)
賀茂祭の中でも最も華やかで人気のあるイベント、「賀茂競馬」は、舞楽装束を身にまとった騎手たちが馬に乗って、上賀茂神社の境内で速さを競います。競駈と呼ばれるこの競走は、午前中に行われる神事の後、午前10時頃からスタートし、一斉に騎手たちが参進し、華やかな舞楽に合わせて馬たちが勢いよく走ります。また、競駈の組み合わせは5月1日に行われる競馬会足汰式にて決定されます。競馬の後は、神社内の馬場で行われる馬術大会や馬の展示もあり、多くの観光客で賑わいます。
- 日時:5月5日 10時~
- 場所:上賀茂神社
御蔭祭(みかげまつり)
御蔭祭(みかげまつり)は、葵祭りの前に下鴨神社において、比叡山の御蔭山より神霊を迎える神事です。9時30分から始まり、神事の後には「切芝神事」と呼ばれる儀式が行われます。この儀式では、「東遊」という舞が奉納されます。御蔭祭は、葵祭りを彩るための重要な行事であり、多くの人々が参加しています。
- 日時:5月12日 9時30分~
- 場所:下鴨神社
葵祭(賀茂祭):路頭の儀
平安時代の優雅な王朝装束に葵の葉を飾った行列は、京都御所から出発して下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かいます。総勢500人以上の参加者が集まり、斎王代の華やかな腰輿もその中に含まれます。行列の長さはなんと1キロにも及び、見物客たちはその迫力に圧倒されることでしょう。
- 日時:5月15日 10時30分~
- 場所:京都御所(10時30分)→下鴨神社(11時40分)→上賀茂神社(15時30分)
葵祭(賀茂祭):社頭の儀
「社頭の儀」とは、上賀茂神社と下鴨神社に勅使が到着した際に、それぞれの社頭で行われる儀式です。この儀式では、勅使が神前で御祭文を奏上し、御幣物を奉納します。その後、神馬を引き回し、舞人による「東遊」と呼ばれる舞踊の奉納が行われます。社頭の儀は、両神社での重要な行事であり、神聖な雰囲気が漂います。
小川流煎茶献茶祭(おがわりゅうせんちゃけんちゃさい)
葵祭の関連行事として、5月22日に「下鴨神社 小川流煎茶会」が行われます。神職による先導で、献茶ご奉仕の一行が進みます。本殿御門前では雅楽が奏上され、祝詞が奏上された後、小川流煎茶の宗匠が舞殿に上がります。そこで、炭手前から始まり、献茶手前を執り行います。この様子は、舞殿の周囲から見学することができます。また、献茶の後には、一般の方向けにお茶席が設けられます。ただし、2023年のお茶席については未定となっています。
- 日程:2023年5月22日(予定)10時00分~
- 場所:下鴨神社
葵祭(賀茂祭)路頭の儀の巡行コース
地点 | 時間 |
---|---|
京都御所 堺町御門・出発 | 午前10時30分 |
丸太町通 | – |
河原町通 | – |
下鴨神社到着 | 午前11時40分 |
社頭の義 | – |
下鴨神社・出発 | 午後2時20分 |
下鴨本通 | – |
洛北高校前 | 午後2時40分 |
北大路通 | – |
北大路橋 | 午後2時55分 |
賀茂川堤 | – |
上賀茂神社到着 | 午後3時30分 |
路頭の儀の行列(本列)の順番と内容
乗尻(のりじり)
乗尻(のりじり)とは、行列の先導を務める騎馬隊のことです。左右に各3騎が配置され、葵祭りでは葵の葉をあしらった王朝装束を身にまとっています。また、上賀茂の競馬では競走馬の騎手としても活躍します。古くは、六衛府の衛士(えじ)が乗尻を務めていたと伝えられています。乗尻の姿は、葵祭りや賀茂競馬などの祭礼行事で見ることができます。
検非違使志(けびいしのさかん)
検非違使志(けびいしのさかん)とは、検非違使庁に勤める役人で、警察や司法を担当する職業です。彼らは六位の武官であり、舎人(とねり)が引く馬に乗って行列の警備を担当します。また、看督長(かどのおさ)、火長(かちょう)、如木(にょぼく)、白丁(はくちょう)などの下役を率いて、葵祭の行列を安全に導きます。
検非違使尉(けびいしのじょう)
検非違使庁の役人で、五位の判官にあたります。葵祭りでは、行列の警備の最高責任者で、舎人の引く馬に乗って先頭を指揮します。また、調度掛(ちょうどがけ)には弓矢を持たせ、鉾持(ほこもち)には鉾を持たせ、武装しています。行列の安全を守るために、検非違使尉は重要な役割を果たします。
山城使(やましろつかい)
山城使は山城国司の次官で、五位の文官です。賀茂の両社が洛外にあるため、山城の国司の管轄区域となるため、警護の任務を担います。舎人が馬の口を取り、前後に馬副がついて行進します。山城使の所用品を携えるため、手振、童、雑色、取物舎人、白丁などの従者が従います。山城介とも呼ばれ、貴族の美意識に基づく装束を身に着け、美しく優雅な姿を見せます。
御幣櫃(ごへいびつ)
御幣櫃(ごへいびつ)は、賀茂両社に供える御幣物を納めた櫃で、白木の唐櫃に注連縄をかけられています。下社二座と上社一座の合わせて三つの櫃があり、白丁がかつぎます。行列の先導は衛士が務めます。御幣櫃は重要な神器であり、神霊が宿るとされているため、行列中も大変厳重に護られます。
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)
内蔵寮は、平安時代に設けられた宮廷の行政機関であり、御幣物を管理する責務があります。内蔵寮史生は、その中でも御幣物を管理する役職で、七位の文官にあたります。御幣櫃から御幣物を取り出したり、納めたりすることをはじめ、神社や社殿の管理に関する業務も担当しています。雑色や白丁など従者たちを従え、行列に参加します。
馬寮使(めりょうつかい)
馬の管理を担当する馬寮使(めりょうつかい)は、左馬允(さまのじょう)の一人で、六位の武官です。騎乗して行列に参加し、弓矢を装備した調度掛を従えています。走馬の管理と警護を行い、行列の円滑な進行をサポートします。
牛車(ぎっしゃ)
牛車とは、かつて勅使が乗った車のことで、現在では行列の装飾として使われます。軒には藤の花などが飾られ、牛に引かれます。勅使が乗ることはなくなりましたが、牛童や車方、大工職などの車役が替え牛とともに従います。
御馬(おうま)
下鴨・上賀茂両社の神前で、神々にご覧いただくために用意される特別な馬を指します。2頭の馬の頭と尾には葵、桂、紙垂れを飾り、1頭には4人の馬部がついて引き回します。御馬は行列の中でも特に格式が高く、神職や勅使によって牽かれることがあります。また、下鴨神社では、御馬に特別な色の布をかける「御馬赤垂(おうまあかだれ)」の儀式が行われることでも知られています。
和琴(わごん)
「和琴」は、古来より日本で愛されてきた伝統楽器で、弦楽器の一つです。御物の和琴には、「河霧」という銘が刻まれており、神前で奏楽するために使用されます。葵祭りでは、行列の中で和琴が運ばれ、雅楽の演奏に欠かせない存在となっています。和琴は、美しい音色とともに、古き良き日本の文化を象徴する楽器の一つです。
舞人(まいびと)
葵祭りの行列には、歌舞の堪能者である近衛府の五位の武官である舞人が参加します。彼らは6人が騎乗し、雑色、舎人、白丁などの従者が付き従います。舞人たちは、葵の葉を身に纏った優雅な王朝装束を着用し、美しい舞を披露します。行列を盛り上げ、祭りの雰囲気を一層華やかにします。
陪従(べいじゅう)
陪従(べいじゅう)は、近衛府の五位の武官で、束帯姿の騎馬隊です。蛮絵と呼ばれる特徴的な装束を身にまとい、賀茂両社の社頭で歌や楽器演奏の役割を担います。7人の騎手が各種楽器を携え、雑色、舎人、白丁といった従者たちが従います。彼らの騎馬行列は、葵祭の中でも華やかな装飾の一つとして知られています。
内蔵使(くらづかい)
内蔵寮の次官で、文武両道の五位の官位を持つ文官・武官です。職名は内蔵助。勅使が神前で奏上する御祭文を奉持し、行列に同行します。騎乗しており、従者には馬副や白丁がいます。
近衛使代(このえつかいだい)[勅使(ちょくし)]
勅使(ちょくし)は天皇の使いであり、行列中で最高位者とされています。現在は、四位の近衛中将が近衛使代として勤めます。勅使は路頭の儀には加わりませんが、近衛使代がその代役として、美しい飾馬に騎乗し、飾太刀を携えて行進します。馬の口を取るのは朧(くとり)で、舎人、居飼(いかい)、手振が従います。
牽馬(ひきうま)
牽馬(ひきうま)とは、勅使が使用した馬の代わりとなる馬のことであり、帰路に備えるために用意されます。牽馬は舎人が引き、勅使が乗っていた馬に代わります。また、勅使の護衛役の衛士も従います。
風流傘(ふりゅうがさ)
風流傘(ふりゅうがさ)とは、大きな傘の上に、季節の花をデザインした造花を飾り付けたものです。行列の際には、取物舎人4人が風流傘を持ち、華やかに装飾します。風流傘は、賀茂祭りの行列の中でも、特に美しさを演出する重要なアイテムのひとつとされています。
風流傘(ふりゅうがさ)
風流傘は、大きな傘の上に季節の花を装飾したもので、行列の装いとして取物舎人たちが持っていきます。この日の風流傘は、先に登場したものとは少し異なる造花が使用されています。また、最後の列の結びとなる傘として、行列を締めくくります。
路頭の儀の行列(斎王代列)の順番と内容
命婦(みょうぶ)
「命婦(みょうぶ)」は、女官の一つで、小桂(こうちき)と呼ばれる高級な着物を身に着けています。また、「女嬬(にょじゅ)」とも呼ばれ、行列の中では花傘をさしかけています。彼女たちは皇室や貴族の女性たちで構成され、行列の華やかな雰囲気を演出しています。
女嬬(にょじゅ)
女嬬(にょじゅ)は、宮中で食事を担当する女官のことです。行列においては、飲食物や調度品などの携行を担当します。
斎王代(さいおうだい)
斎王代(さいおうだい)とは、斎王という行事で奉仕するために選ばれた女性の代表者のことです。現在は未婚の市民女性から選ばれることが多く、斎王代と呼ばれます。御禊(みそぎ)を済ませた斎王代は、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)と呼ばれる十二単という大礼服装を着用し、腰輿(およよ)と呼ばれる輿に乗って行列に参加します。腰輿は、供奉者にかつがれた輿で、斎王代が乗ることにより、華やかな行列を形成します。
騎女(むなのりおんな)
斎王に随行して参向する、清浄な巫女のことを「騎女(むなのりおんな)」といいます。斎王代と同様、御禊を済ませた後に、美しい装束を身にまとい、腰輿に乗って行列に加わります。騎女は、騎馬で参向することが特徴であり、6人の女性が駆けつけます。
蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)
蔵人所陪従は、斎院に仕える蔵人所に所属する文官の一群で、雅楽を演奏する役割を担います。彼らは、斎院での儀式や行事において、雅楽の演奏を行います。それぞれの蔵人所陪従は、楽器を持っており、儀式に応じた音楽を奏でます。
牛車(ぎっしゃ)
斎王代列に参加する際に使用される、牛に引かせた車のことを指します。牛車には葵、桂、桜などの季節の花や装飾品が飾られており、非常に華やかな印象を与えます。現在は勅使が乗ることはなく、行列の装飾として用いられます。
釆女(うねめ)
「釆女(うねめ)」とは、後宮で食事や供奉に従事する女官のことを指します。彼女たちは、頭に心葉をつけ、上から小忌衣、唐衣、そして絵衣(五色の花模様)を着用し、下半身には緋色の袴をはいています。彼女たちの装いは、優雅で色鮮やかであることが特徴です。