この記事では広隆寺について、見どころや駐車場情報、混雑状況など紹介しています。
広隆寺の概要
広隆寺は真言宗別格本山。当時、広隆寺がある場所一帯は多くの大陸文化を日本にもたらし、産業発達を促した渡来系豪族である秦氏が住んでいた地域で、その代表者であった秦河勝(はたのかわかつ)が推古11年(603年)に聖徳太子から授かった仏像を安置する場所として建てられたと日本書紀に伝えられています。
大阪の四天王寺、奈良の法隆寺などと共に聖徳太子によって建てられたと聖徳太子七大寺の一つとして数えられています。
桓武天皇により京都に都が移動する(平安京遷都)以前から存在する京都で最古のお寺の一つ。かつては太秦寺や蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)とも呼ばれていました。
これまでに複数回、火災の被害を受けており、弘仁9年(818年)の火災で焼失した際は、秦氏の末裔で弘法大師に師事した道昌によって再興しました。また、1150年(久安6年)に火災にあった際も再建されました。現存する伽藍(建物)はそれ以降に再建したものです。
広隆寺の奥の院である桂宮院本堂は1251年(建長3年)に建てられたもので、千本釈迦堂の本堂や醍醐寺の五重塔などと並び京都に残る鎌倉時代以前の遺構として国宝に指定されています。
なお、赤堂の通称で知られている講堂は火災で焼失したものを再建されており、京都市中心部では最も古い建築物とされているが、何度も改修されているので当時の原型を留めているわけではありません。
境内は広く、その他、本尊である聖徳太子像を祀る上宮王院太子殿や阿弥陀三尊像、薬師如来像などを安置する薬師堂、地蔵堂などがあります。
広隆寺の見どころ
広隆寺の印象的な見どころをまとめました。
弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)国宝第一号
広隆寺はこれまで何度か火災の被害にあっていると伝えましたが、広隆寺で安置されていた貴重な仏像は運び出されて奇跡的に消失を免れています。
特に有名な仏像として、学校の歴史の教科書に必ず掲載されている国宝第一号に登録された弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)は、広隆寺が建てられた当初は本尊として祀られていたものです。仏像は現在、敷地内にある霊宝殿に安置されており直接拝むことが可能です。
ただし、写真撮影は禁止されているのでご注意ください。
木造弥勒菩薩半跏像(泣き弥勒)
木造弥勒菩薩半跏像(もくぞうみろくぼさつはんかぞう)は飛鳥時代の作品とされており、国宝に指定されています。全高90センチメートルの小柄な仏像で泣いているような表情から「泣き弥勒」と呼ばれています。泣いているような表情をしている珍しい仏像です。
十二神将像
十二神将像は日光菩薩、月光菩薩と共に薬師如来の眷属とされており、薬師如来や仏教を守るため、武将のような強い姿で表されます。広隆寺の十二神将像は1064年(康平7年)に平安時代後期に活躍した仏師定朝の一番弟子である長勢によって作られました。120センチメートルの立像で動きが少なく穏やかな姿をしています。
広隆寺の写真撮影
仏像が安置されている霊宝殿の内部屋仏像の写真撮影は禁止されています。
広隆寺の混雑状況
広隆寺は京都の観光スポットの中でも比較的空いている日が多いと言えます。
広隆寺のアクセス
広隆寺の最寄駅はJR太秦駅となります。山陰本線(亀岡行)に乗車すれば京都駅から乗り換えなし15分ほどで太秦駅に到着します。太秦駅から7分ほど歩くと広隆寺に到着します。
広隆寺の駐車場
広隆寺には参拝者専用の駐車場が存在します。普通車50台分となっており、無料で利用することができます。
広隆寺の基本情報
- 名前:広隆寺
- 住所:京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
- 電話番号:075-861-1461
- 所要時間:60分
- 拝観料:800円
- 創建:1482年
- 開山:聖徳太子
- 開基:聖徳太子
- 宗派:真言宗系単立
- 本尊:聖徳太子