こちらの記事では、清水寺の本堂と清水の舞台について歴史や舞台の大きさなど詳しく紹介しています。ことわざ「清水の舞台から飛び降りる」の言葉についての意味と、実際に飛び降りた人がいるのかどうかまでお伝えします。
清水寺の舞台について
清水寺といえば舞台を連想する方もいるほど。境内内でも代表的な観光スポットとして有名です。
舞台上からは、広い境内を一望でき、四季折々の美しい景色に出会えます。
清水の舞台は、京都市東山区にある音羽山清水寺の本堂の一部であり、1633年に徳川家光の治世下で現在の舞台が建造されました。しかし、それ以前には何度も戦乱などで焼失しており、再建された歴史があります。
清水寺自体は、奈良時代末期の778年に、延鎮上人(えんちんしょうにん)こと賢心(けんしん)が、北へ清泉を求めていけという夢を見て、音羽山の地にたどり着いたことから始まります。
その後、賢心は仙人に出会い、霊木を授けられて千手観音像を造り、音羽山を守るように命じられました。賢心はその言いつけ通りに、音羽山を守り続けたと言われています。また、このときに賢心が見つけた清泉が、現在の「音羽の滝」です。
そして、坂上田村麻呂がこの地を訪れて、賢心の教えに感銘を受け、「十一面千手観音菩薩」を安置する寺院を建立しました。これが清水寺の始まりであり、千手観音は日本独自のスタイルである「清水型千手観音」と呼ばれています。
千手観音は、本来40本の手を持っており、それぞれの手に25ずつの観音力が宿っているため、「40×25=1,000」とカウントされています。清水寺は、その歴史や文化的価値から、1994年にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つに登録されました。
舞台の高さは?
清水の舞台から地面までは約13mあります。
この高さはマンションの4階ほどの高さで、京都の人気観光スポット「金閣寺」の金閣と同じ高さ(金閣の性格な高さは12.5m)。
木材同士を格子状に組み合わせることで支えあい、バランスを取ることで本堂と舞台は建てられています。
懸造り(かけづくり)は急斜面でも耐震性を高め、強度もあるのでまさに本堂と舞台を建てるのに理にかなっている工法。
舞台を支える柱を下から眺めるとすごい迫力で貫録があります。
急な崖の上にある理由は?
舞台は急な崖の上に建てられていますが、このがけは清水の滝が作り上げたと考えられています。
現在の滝の水量はちょろちょろと流れており、清水寺を訪れた観光客の方々が滝の水をいただく人気アトラクションとなっていますが、江戸時代以前の清水の滝の水量は激しく、急な崖を作りました。
舞台の役割は?
清水の舞台は昔から雅楽やお能、歌舞伎のほか相撲などの芸能をご本尊の観世音菩薩に奉納する場所としての役割がありました。
いったいいつ造られたのか?
実は清水寺は創建された当時から、現在の立派な本堂があったわけではなく、清水寺の名前が知れ渡り有名になったのは805年に御願寺(天皇や皇后等のために祈願や追善を行う仏教施設)となってからといわれており、それまではお寺の規模も小さかったようです。
これまで9度の火災に見舞われているので、はっきりとした清水寺の記録となる資料が残っておらず、本堂や舞台がいつ作られたのかはっきりとはわかっていません。
しかし、清水の舞台で蹴鞠を蹴ったという日記が見つかっており、現存する資料から舞台ができたのは、平安時代後期といわれています。
また、清水の舞台が出てくる有名な歴史の話でいえば、五条橋でも決闘を行った牛若丸(源義経)と弁慶は清水の舞台でも決闘を行ったと「義経記」に記されています。
清水寺はこれまでに9度の火災に見舞われているとお伝えしましたが、火災が原因で舞台も焼失してしまいます。
直近の火災でいうと1629年、この4年後に徳川家光の寄進と家光の妹である東福門院の発願により、舞台が再建されました。
現在、私たちが見ている舞台はその時の舞台となります。
また、境内に残るお寺のほとんどもその時に再建されたものです。
「清水の舞台から飛び降りる」ことわざの意味
清水の舞台から飛び降りるという言葉は「必死の覚悟で実行する」という意味があります。
「清水の舞台から飛び降りる」についてさらに詳しい情報が知りたい方は「清水の舞台から飛び降りる?その目的と死者の数、ことわざの使い方を紹介」をご覧ください。
実際に清水の舞台から飛び降りた人はいるのか?
舞台から飛び降りた人は江戸時代に実際に存在しました。
清水寺境内の成就院から見つかった「清水寺成就院日記」には飛び降りた人々の記録が記述されていて、その数なんと234人!
驚くことに、飛び降りた方の多くは生き残ったとされており、その当時は舞台の下の地面は今と比べて柔らかかったことで、80%以上の飛び降りた人は生き延びることができたといわれています。
数多くの人々が飛び降りた理由は飛び降りて、生き残れば自分の願い事は叶い、もし亡くなったとしても極楽浄土にいけるといわれていました。