金閣寺は、室町幕府3代将軍・足利義満によって建てられ、再建された最大のハイライトである金色に輝く金閣が有名です。また、貴重な鳳凰や不動堂、美しい庭園なども見どころのひとつです。特に庭園は特別名勝・特別史跡に指定されており、四季折々の美しい景色を楽しめます。
金閣寺には、国宝や重要文化財、名勝、史跡など多くの文化財があり、歴史や文化を学ぶことができます。この記事では、金閣寺の見どころを修学旅行や観光で訪れた人たちが楽しめるよう、詳細に解説しています。
金閣は、屋根に金箔を貼った三層の塔で、まるで天空に浮かぶような美しさが特徴です。また、不動堂には、足利義満が奉納したとされる貴重な仏像が安置されています。
金閣寺の庭園は、枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つがあり、それぞれに趣きがあります。春には桜が咲き、秋には紅葉が美しい景色を演出します。
金閣寺は、歴史と美しさが融合した場所であり、多くの人々に愛されています。ぜひ訪れて、その魅力を体感してみてください。
金閣(舎利殿)
金閣寺で必見の存在と言えば、金閣です。金閣は、世界遺産の金閣寺の最大のハイライトであり、長い歴史を持つ観光名所でもあります。金閣は、鏡湖池とのコラボレーションにより、季節や天候、時間帯に関係なく、美しい光景を見せてくれます。
特に、雪景色などの情景は言葉を失うほどの絶景であり、見る人を圧倒するとも言われています。また、金閣はインスタ映えすることでも知られており、多くの人々が写真を撮りに訪れます。
金閣は、三層の塔で、屋根に金箔を貼り付けた美しい建物です。内部には、足利義満が奉納したとされる仏舎利が安置されています。金閣の周辺には、美しい庭園が広がっており、季節によって異なる風景を楽しめます。
金閣は、歴史と美しさが融合した絶景の場所であり、多くの人々に愛されています。金閣寺を訪れた際には、必ずと言っていいほど見るべき存在です。
金閣の建築
金閣は、木造3階建ての楼閣建築で、仏教の開祖・お釈迦様の遺骨・仏舎利を祀る舎利殿として建てられました。金閣の1階には宝冠釈迦如来像と足利義満像、2階には岩屋観音像と四天王像が安置されています。1階は素木仕上げ、2階は外面が金箔張り、3階は外面・内部(床除く)が金箔張りです。かつては3階だけに金箔が残っていました。また、1階は寝殿造、2階は武家造、3階は禅宗仏殿造であり、宝形造のこけら葺です。金閣には、後小松天皇宸筆の扁額「究竟頂」が掛けられています。金閣は、銀閣寺の銀閣や西本願寺の飛雲閣とともに京の三閣として知られています。
金閣は1階と2階が同じ大きさで、3階が一回り小さくなっています。1階には船着場と池に突き出した漱清(そうせい)・釣殿(つりどの)があります。
金閣の歴史
金閣は、1950年に放火事件で焼失し、その後、1955年に再建されました。再建にあたっては、明治時代に解体や修理を行った際に作成された図面や写真を基にして再建されたとされています。
1398年に金閣寺の開基である足利義満によって建てられた金閣は、歴史的な建造物として、多くの人々に愛されています。再建された金閣は、放火事件前とほぼ同じ外観で再現され、その美しさは多くの人々を魅了しています。
なお、2020年には金閣の2階・3階の葺き替え工事が行われました。この工事により、金閣はより美しく、長く愛される建造物として、今後も多くの人々に親しまれることでしょう。
金閣の仏舎利
仏舎利とは、仏教の聖遺物で、お釈迦様の遺骨や髪の毛、爪などの遺物を指します。金閣に納められている仏舎利も、お釈迦様の遺骨が納められています。
足利義満は、東寺から8粒の仏舎利を寄贈されました。この出来事は、「東寺百合文書(足利義満自筆仏舎利奉請状)」という文書に記されており、1406年(応永13年)9月10日に行われたとされています。東寺の仏舎利は、弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が中国の青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)から直接授けられたもので、非常に貴重な存在です。
金閣に納められている仏舎利は、足利義満が寄贈されたものではなく、別の仏舎利が納められています。しかし、仏舎利という聖遺物が納められていることは、金閣をさらに神聖な場所として位置付けています。
金閣の金箔
金閣の金箔は、1955年の再建時には10万枚、その後の修復では20万枚が使用され、総額は約7億4千万円にも上ります。2020年には約320平方メートルの屋根が葺き替えられ、約10センチ角の金箔約1万枚が使用されました。この際、鳳凰や軒下の傷んでいた箇所も金箔で補修されました。金箔は薄く打ち延ばされた金属で、金閣の美しさや輝きを演出する大切な要素です。金箔を使用した技術は江戸時代から変わらず、今もなお伝統的な方法で作られています。
金閣の鳳凰
金閣に取り付けられていた鳳凰は、南向きに取り付けられていましたが、明治時代の解体・修理の際に尾が破損して取り外され、現在の鳳凰は2代目です。鳳凰は室町時代に制作され、金閣創建当時のもので唯一残されたものとされ、京都市指定文化財となっています。放火事件による焼失を免れた鳳凰は、歴史が魅力であり、第100代・後小松天皇宸筆の扁額「究竟頂」とともに見どころの一つです。鳳凰は高さ3.22尺(約1メートル)で、銅製で金箔が施されていました。
不動堂
金閣寺の不動堂は、美しい金閣とは異なり、煌びやかさを抑えた落ち着いた雰囲気が特徴的です。この不動堂は、金閣寺の山内にある建物の中でも最も古い建物の一つであり、年に2回だけ開扉法要が行われます。
不動堂には真言宗の宗祖である弘法大師・空海作とも言われている本尊(秘仏)である石不動明王と、鎌倉時代に造仏された不動明王立像(重要文化財)が安置されています。不動明王立像は、西園寺護摩堂の本尊だったとされています。
不動堂は、天正年間(1573年〜1592年)に豊臣政権の五大老であった宇喜多秀家によって再建されました。屋根は入母屋造で、本瓦葺きです。
不動堂の石室壁面には、康永元年(1342年)暮秋下旬、康永二年(1343年)、兵衛五郎、南無不動明王などの線刻が刻まれていることが判明しています。
毎年、節分(立春の前日)と五山送り火の日(8月16日)には、不動堂で開扉法要が行われます。これらの行事は、地元の人々や観光客にとっても大変に重要な行事の一つとなっています。
金閣寺の庭園
金閣寺の庭園は、金閣との絶妙なバランスが美しい、金閣寺の見どころの一つです。庭園は、鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園で、面積は約2万8千坪、鏡湖池だけでも約2千坪あります。庭園には、モミジやカキツバタ(杜若)などが分布しており、四季折々に美しい光景を見せてくれます。特に、紅葉やカキツバタの時期には、普段とは違った美しい景色を楽しむことができます。
庭園は、衣笠山を借景に、鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園として造られました。池には、葦原島、鶴島、亀島などの島や、細川石、畠山石、赤松石などの奇岩名石があります。これらの奇岩名石は、金閣寺開基・足利義満に贈られたものだと言われており、庭園をより美しく彩っています。また、庭園には、秘仏である石不動明王を安置する不動堂もあります。不動堂は、真言宗の宗祖である弘法大師・空海作とも言われている本尊であり、鎌倉時代に造仏された不動明王立像も展示されています。
金閣寺の庭園は、歴史も深く、西園寺公経が山荘を造営した際に作庭され、足利義満によって大改修されたと言われています。応仁の乱や樹木伐採のために荒廃した期間もありましたが、江戸時代後期には作庭当初の池泉に戻され、現在の美しい庭園が完成しました。
庭園の見どころは、島や奇岩名石のほか、池に映る金閣も挙げられます。鏡湖池は、美しい金閣を映し出すことから名前が付けられ、「逆さ金閣」としても有名です。庭園の景観は、季節や場所によって変わるため、何度訪れても飽きることがありません。
金閣寺の方丈庭園
金閣寺の方丈庭園は、金閣寺の方丈の前に位置しています。庭園には、女龍石、布袋石、走馬石、蟠龍石、露盤石などが配置されています。方丈庭園は一般に非公開ですが、時折特別公開されることがあります。
方丈庭園は室町時代に、絵師、連歌師、鑑定家である相阿弥が作庭したとされています。庭園は、当時の茶の湯文化や禅思想を取り入れたもので、現在でもその美しさと緻密な構成によって多くの人々に愛されています。女龍石は、女性の顔をした龍を象ったもので、古来より龍は雨を司る神とされています。布袋石は、鼓を持った布袋像を象ったもので、豊かさを象徴しています。走馬石は、立ち上がる馬を表現したもので、勢いを感じさせます。蟠龍石は、龍が巻き付いた姿をしたもので、力強い印象を与えます。露盤石は、盤のように平たい石で、水面に浮かぶかのように配置されています。
方丈(本堂)
方丈は金閣寺の中心的な建物であり、本堂に相当する場所に位置しています。方丈内には本尊である聖観世音菩薩をはじめ、金閣寺開山の夢窓国師像や金閣寺開基の足利義満像などが安置されています。方丈は様々な部屋から構成されており、檀那の間・室中・礼の間・上間後室・仏間・下間後室があります。また、方丈には美しい杉戸絵が飾られています。
方丈の歴史については、1602年(慶長7年)に建てられたが、1678年(延宝6年)には第108代後水尾天皇の寄進によって再建されました。方丈の様式は入母屋造の桟瓦葺で、美しい屋根が特徴的です。方丈は金閣寺の重要な建築物であり、多くの人々が訪れています。
大書院
大書院は金閣寺の中でも重要な建物の一つで、一の間から狭屋の間までの襖絵が美しく飾られています。特に伊藤若冲が描いた障壁画は、息をのむほどの美しさで知られていますが、現在は承天閣美術館に移されています。大書院は貞享年間に建てられたとされ、300年以上の歴史を誇っています。一の間から四の間までは、足利義満の書院様式を踏襲した日本庭園が広がり、美しい風景を楽しむことができます。大書院内には加藤東一が描いた淡墨桜図や、鏡池の水面に映る金閣を描いた絵画も飾られています。
鐘楼・梵鐘
金閣寺の鐘楼は、西園寺家から伝わる貴重な梵鐘を掛けています。この梵鐘は鎌倉時代前期に鋳造され、音色は黄鐘調とされています。鐘楼では有料で梵鐘を撞くことができるようですが、詳細は確認が必要です。また、鐘楼自体は1955年に再建された建物であり、梵鐘と共に金閣寺の歴史を物語る貴重な存在です。
夕佳亭
夕佳亭は江戸時代に金閣寺を訪れた第108代後水尾天皇を迎えるために建てられた建物です。その名称は、夕日に照らされた美しい金閣が特に美しく見える景色を指して「夕佳」と名付けられたと言われています。夕佳亭の近くには、室町幕府8代将軍・足利義政が愛用したとされる石灯籠、富士形の手水鉢、貴人橸などもあります。
夕佳亭は、茶道の祖・金森宗和の好みに合わせて、寄棟造りの茅葺屋根の建物として建てられました。床柱には珍しい南天が使用されており、「南天の床柱」とも呼ばれています。夕佳亭は1868年に焼失し、1874年に再建されました。
鐘楼は、西園寺家由来の梵鐘を釣っており、音色は黄鐘調と言われています。梵鐘は鎌倉時代前期に鋳造され、鐘楼は1955年に再建されました。有料で梵鐘を撞くことができる場合もあるようです。
大書院には一の間から四の間、そして狭屋の間があり、日本画家の加藤東一が描いた淡墨桜図などが飾られています。一方、方丈には仏間に本尊の聖観世音菩薩をはじめ、金閣寺開山の夢窓国師像や、開基の足利義満像も安置されています。方丈庭園は相阿弥が作庭したとされ、女龍石や蟠龍石などが配されています。また、夕佳亭からは金閣を夕日に映して楽しむこともできます。
龍門滝・龍門瀑
龍門滝は金閣寺の敷地内にある、高さ約2.3メートルの小さな滝です。滝の下には鯉魚石が置かれており、中国の伝説である「登竜門」にちなんで配置されています。この伝説によれば、鯉が滝を登りきると龍に変身するというものです。龍門滝はこのように龍が現れる場所として、龍門瀑とも呼ばれています。この滝は、金閣寺敷地内を散策する際に立ち寄ってみることができます。
銀河泉・厳下水
金閣寺には、銀河泉と呼ばれる泉と厳下水と呼ばれる水場があります。銀河泉は、金閣寺の開基である足利義満がお茶の水に使ったとされ、現在でも清冽な湧水が湧き出しています。一方、厳下水は、足利義満が手洗いに使用したと言われており、小さな茅葺き屋根に覆われた石に囲まれた水場です。両方とも、歴史を感じさせる貴重な水場として、金閣寺の境内に残されています。
安民沢
安民沢は、鏡湖池の水源である山腹にある小川です。この小川は鏡湖池の半分ほどの大きさがあり、その清らかな水は現在も湧き出しています。安民沢には、白蛇を祀った五輪の石塔や白蛇の塚があり、古くからパワースポットとして崇められてきました。白蛇は、古くから水神である弁天様の使いとされ、西園寺家の鎮守としても崇められていました。
また、安民沢は、雨賜沢(うしたく)や望雲沢(ぼううんたく)とも呼ばれています。これは、雨乞いの場所として知られており、過去には安民沢に参詣して雨乞いをする人々もいたと言われています。
胡蝶侘助
金閣寺の方丈庭園には、胡蝶侘助と呼ばれる木が植えられています。この木は、後水尾天皇が自ら手植えしたという言い伝えがあることでも知られています。胡蝶侘助は春に美しい花を咲かせ、一年で最も美しい時期は3月中旬から4月上旬頃とされています。また、この木は大徳寺の塔頭である総見院に次ぐ大きさがあり、その迫力も魅力の一つです。
金閣寺垣
金閣寺垣は金閣寺内にある、美しい竹垣です。茶室や夕佳亭の周辺に配置されており、四つ目垣(小竹垣)の変形種とされます。竹垣の高さは低く、縦も横も丸竹を使って作られています。この垣は、竹を組み合わせていることから、柔軟性があり、地震などで揺れた際にも安定感があります。金閣寺垣の美しさは、落ち着いた竹の色と、柔らかな曲線が特徴で、多くの人々を魅了しています。
北山大塔跡(七重塔)
金閣寺境内北東にある北山大塔(七重塔)跡は、15世紀初頭に建てられた室町幕府3代将軍・足利義満が北山殿に建てた七重塔の跡地で、室町時代の名建築物として知られています。現在は跡地のみが残っており、高さ110メートル(360尺)と言われる七重塔の姿は現代に伝わっていません。
2016年には、北山大塔の溝跡から金メッキが施された青銅製の破片が3つ出土しました。最大のものは相輪・九輪(くりん)が直径約2.4メートルになる大きさで、巨大な塔のものだったと言われています。これらの破片から、北山大塔が七重塔であったことが確認されています。
歴史的には、足利義満が1399年に相国寺に七重塔を建立し、1403年に落雷によって焼失。その後、1404年に建立が開始された北山大塔も、1416年に落雷で未完成のまま焼失してしまいました。その後、室町幕府4代将軍・足利義持が相国寺に七重大塔の再建を命じたとされています。北山大塔の建設過程や詳しい姿は、資料に残っておらず謎が多い建築物です。