この記事では、祇園祭のスケジュールや概要(歴史)、見どころについて紹介しています。
- 「祇園祭の見どころが知りたい」
- 「祇園祭のスケジュールやできることが知りたい」
- 「山鉾に乗りたい!巡行を見るのにおすすめの場所は?」
- 「2022年の祇園祭情報が知りたい」
- 「過去(2019年〜)の祇園祭の様子を知りたい」
という方におすすめです。ご参考になさってください。
祇園祭
祇園祭は日本の三大祭りのひとつ数えられている京都の夏の風物詩で1000年以上の伝統と歴史がある八坂神社の祭礼。
祭の期間中は京都の街を歩くと「コンチキチン♪」と鳴る音や太鼓、笛で奏でられるお囃子が聞こえてきます。
この期間中は日本国内に限らず海外からも多くの方々が京都を訪れ、特に山鉾巡行と宵山は一番の賑わいを見せます。
一番の見どころとされている山鉾巡行は昭和54(1979)年に国の重要無形文化財に指定され、さらに平成21(2009)年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました。
祇園御霊会が原点とされており、869年に京都を含む日本各地で疫病が流行ったときに平安京の広大な庭園だった神泉苑にて、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立ててスサノオノミコトといった祇園の神様を祀り、3基の神輿を送って、神様に疫病を鎮めてもらおうとしたことがはじまり。
当時は天変地異という自然災害や災いは不慮の死で亡くなった人々の魂によると考えられていました。
毎年7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまでの一ヵ月にわたり様々な神事・行事が行われます。
一般的には17日と24日の山鉾巡行とその前日の宵山が広く知られていますが、それ以外にも見どころが多いですよ。
祇園祭の歴史
今から1100年以上前の貞観11(869)年に、清和天皇が治める京都、そして全国で疫病が流行して、多数の人々が病に苦しみ、亡くなりました。
疫病を祓うために、祇園社(※八坂神社)で当時の日本の国の数66本の鉾を立て、洛中の男子を載せた祇園社(八坂神社)の神輿を平安京の庭園であった神泉苑におくり、災いを封じ込める御霊会をおこなったことがはじまりであると伝えられています。
平安時代中期から規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽なども加わるようになり賑わいを見せるようになりました。
その後、祇園社(八坂神社)の興隆とともに祇園御霊会と呼ばれるようになり、この名前が略されて祇園会と呼ばれるようになりました。
祇園会は、初めのころは疫病が流行った時だけ不定期で行われていましたが、天禄元(970)年から、毎年6月14日におこなわれるようになります。
保元の乱、平治の乱の際に一時途絶えましたが、足利時代には足利将軍と夫人が祇園会を観覧したことが記録に残っています。
室町時代には経済力を蓄えた京都の町衆が山なども建てるようになりました。
このころから山鉾は町々の特色があったと「祇園社記」に記されています。
各町ごとに山鉾が建てられ、巡行する現在のような形にこのころから変わっていきました。
その後、応仁の乱・文明の乱で京都は焼け野原となって、祇園会も継続することができなくなりましたが、京都の人々の祇園会にかける熱い思いから33年後の明応9(1500)年に祇園会で26基の山鉾が巡行したと伝わります。
この時、京都の人々の手によってよみがえった祇園会、山鉾巡行から、山鉾は京都の人々によって創意工夫されるようになり、内外共に豪華絢爛なものになりました。
山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が行われるようになりました。
永正元(1504)年6月には後柏原天皇も観覧したと記録に残っています。
人々の祇園会にたいする信仰と勢力は増々大きくなり、天文2(1533)年、延暦寺大衆の影響により、神輿渡御ができなくなると、
「神事無之共、山鉾渡し度し」
と延暦寺に申し出るほど、人々の山鉾存続への熱意が高まっていきました。
鉾が現在の形になり豪華な飾りつけを行うようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて外国と貿易を行うようになり、町衆階級が勃興して舶来品や西陣織などをもちいるようになってから。
このように祇園祭には長い歴史と京都の人々の思いが詰まった伝統行事となっています。なんども火災や戦により中断、山鉾が消失してしまいましたが、そのたびに京都の人々により再興を繰り返して今日にいたります。
祇園祭の日程・スケジュール
日にち | 行事 | 場所 |
1日~18日 | 吉符入 | 各山鉾町 |
1日~11日 | 二階囃子 | 各山鉾町(鉾・曳山のみ) |
1日 | 長刀鉾町お千度 | 八坂神社 |
2日 | くじ取り式 | 京都市役所 |
山鉾町社参 | 八坂神社 | |
3日 | 神面改め | 船鉾町 |
5日 | 長刀鉾稚児舞披露 | 長刀鉾町 |
7日 | 綾傘鉾稚児社参 | 八坂神社 |
10日~14日 | 前祭山・鉾建て | 前祭各山鉾町 |
10日 | お迎え提灯 | 四条大橋 |
神輿洗 | ||
12日~16日 | 山鉾上での囃子 | 前祭各山鉾町(鉾・曳山のみ) |
12日~13日 | 前祭鉾曳き初め | 前祭各山鉾町(鉾・曳山、一部舁山) |
13日 | 長刀鉾稚児社参 | 八坂神社 |
久世駒形稚児社参 | ||
14日~16日 | 前祭宵山 | 前祭各山鉾町 |
15日 | 斎竹建 | 四条麩屋町 |
宵宮祭 | 八坂神社 | |
16日 | 献茶祭 | 八坂神社 |
宵宮神賑奉納 | ||
17日 | 前祭山鉾巡行 | 氏子区内 |
くじ改め | 四条堺町 | |
神幸祭(神輿渡御) | 八坂神社~四条御旅所 | |
18日~21日 | 後祭山・鉾建て | 後祭各山鉾町 |
20日~21日 | 後祭鉾曳き初め | 後祭各山鉾町(鉾・曳山、一部舁山) |
21日~23日 | 後祭宵山 | 後祭各山鉾町(鉾・曳山のみ) |
23日 | 煎茶献茶祭 | 八坂神社 |
護摩焚き | 役行者町 | |
24日 | 花傘巡行 | 八坂神社~市役所前~八坂神社 |
還幸祭(神輿渡御) | 四条御旅所~八坂神社 | |
25日 | 狂言奉納 | 八坂神社 |
28日 | 神輿洗 | 四条大橋 |
29日 | 神事済奉告祭 | 八坂神社 |
31日 | 疫神社夏越祭 | 八坂神社境内疫神社 |
※コロナウィルスの影響もありますので、最新情報はご自身でお調べください。
祇園祭の見どころ
祇園祭の粽
祇園祭といえば厄除けの粽(ちまき)が有名です。
粽(ちまき)といえば食べ物を思い浮かべる方が多いと思いますが、食べ物ではありません。
笹の葉で作られた御守りで、厄病や災難除けとして玄関に飾ります。
毎年、祇園祭の期間にだけ各山鉾町や八坂神社で販売されており、京都では多くの方が粽(ちまき)を買い求めます。
粽(ちまき)は一年経つと、新しいものを買い求め、古いものは神社に奉納します。
この粽(ちまき)は八坂神社に祀られているスサノオノミコトに由来しています。
昔、蘇民将来(そみんしょうらい)という名前の男性の家に、旅人の格好をしたスサノオノミコトが訪ねてきて、一晩泊めてほしいとお願いしました。
蘇民将来は貧乏でしたが、できる限りのおもてなしをしたところ、スサノオノミコトはその心遣いにとても喜びました。
スサノオノミコトは蘇民将来にお礼として「今後あなたの子孫は末代まで私が守ります。目印として腰に茅の輪をつけていなさい」と言い残して出て行きました。
この出来事のおかげで、疫病が流行った際も、蘇民の一族は生き残り反映されたと言われています。
茅の輪と粽(ちまき)は一緒の意味合いですね。
以前、北野天満宮の夏越祓いに参加した時に、宮司さんに茅の輪くぐりの方法として、「われは蘇民将来の子孫なり。蘇民将来蘇民将来、蘇民将来蘇民将来」と唱えてくださいと教えていただきました。
八坂神社の三基の神輿
祇園祭は八坂神社の祭。
祭の中心となる八坂神社に祀られている神様、スサノオノミコト、奥さんのクシナダヒメノミコト、そして8人の子供たちまとめてヤハシラノミコガミの三体とされています。
祭が続く7月の間は、神輿に乗って、八坂神社から氏子が暮らす京都の街へとお出ましになられます。
スサノオノミコトは中御座と呼ばれる三若神輿会が担ぐ神輿に乗られます。
六角形の屋根の上には鳳凰が立ち、その足元には青稲が飾られておりとてもきれい。
クシナダヒメノミコトは西若神輿会の男衆が担ぐ東御座に乗られます。
こちらは四角形の屋根に葱花が飾られますよ。
ヤハシラノミコガミが乗るのは錦神輿会の男衆によって担がれる西御座。
八角形の屋根の上には中御座と同じく鳳凰が飾られます。
三基の神輿は7月17日、前祭の山鉾巡行が終わった後、八坂神社の南楼門(四条通に面していない正門)から出発し、それぞれ所定のコースを練り歩き、四条通の御旅所まで担がれます。
そして、この夜から一週間の間は四条御旅所に置かれます(神幸祭)。
一週間後の24日、後祭の山鉾巡行が終わった後、三基の神輿は氏子区域をまわって八坂神社へと戻ります(還幸祭)。
四条通の御旅所は普段はお土産物など販売するお店となっています。
2014年に後祭(あとまつり)が復活
2014年までは7月17日に山鉾巡行が行われていましたが、この年から17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭(あとまつり)の二日間に分けて行われるようになりました。
じつはこの二日間山鉾巡行を行うかたちこそが祇園祭の本来のかたち。
17日の前祭(さきまつり)で京都の街の汚れを祓い、そのあとで八坂神社から神輿に乗った神様がお出かけされます。
そして、24日の後祭(あとまつり)で、もう一度山鉾巡行を行い街の汚れをはらった後に、神様を神輿に乗せて八坂神社に戻ります。
昭和41(1966)年から7月17日に山鉾巡行がまとめて行われはじめ、2014年までの49年間は後祭がありませんでした。
「あとのまつり」は祇園祭でうまれた説
タイミングを逃してしまうたとえとして使われる「あとのまつり」ですが、この言葉は祇園祭で生まれたという説が存在します。
祇園祭では山鉾巡行が17日と24日に行われますが、豪華絢爛な鉾が巡行するのは17日の前祭、後祭では山の巡行が中心で前祭と比べると少し地味に感じられることから、この言葉は生まれたのだとか。
「祭で一番盛り上がるタイミングは過ぎてしまっている」というような具合で使われ始めたのかもしれませんね。
わたしはどちらの山鉾巡行も見に行ったことがあるのですが、それぞれの山が個性的で後祭の山鉾巡行も見ていて楽しかったですよ。
山の上にカマキリが乗っているユニークなものとか。
大船鉾も鉾に負けず劣らず素敵でした。
屏風祭
屏風祭は主に祇園祭の宵山期間に行われる行事。
山鉾町の旧家や老舗がそれぞれ所有する宝物、美術品や調度品などを飾り、公開します。
屏風を飾られることが多いことから屏風祭と呼ばれていますが、屏風の他にも武具や呉服など飾るものは様々です。
中には普段見ることができない国宝級の作品が飾られているとか。
先祖代々受け継がれてきた品々や飾りからは京都の人々が受け継いできた伝統・文化を見ることができます。
祇園祭の期間しかオープンしない幻の美術館、屏風祭を楽しむのも祇園祭ならではですよ。
屏風祭が行われる場所
屏風祭が行われるのは山鉾町にある旧家や老舗、とくに室町通や新町通の建物で多く見ることができます。
建物内に入れなくとも、通りから室内に飾られた様々な品物を鑑賞することができるところも。
個人の住宅や会社の敷地で持ち主様の善意によって行われており、開催時期などはそれぞれ決められている場合が多いです。
代表的な屏風祭をご紹介
綾小路新町にある京都では最大級の大きさの京町屋杉本家住宅でも毎年屏風祭が行われています。
元々は1743年創業の呉服屋だった建物は京都の中心部にありながら、姿を変えず残っている貴重な存在は1990年2月に京都市の有形文化財に登録され、2010年には町屋として初めて国の重要文化財に指定されました。
杉本家の屏風祭
杉本家の屏風祭の特徴は展示しないというところ。
屏風や道具などそれぞれしかるべき場所にしつらえ、部屋の一部に自然と存在するように飾られます。
本来のあるべき姿で飾られた貴重な品々は、それぞれを展示されている屏風祭の会場とはまた違った雰囲気を感じることができるかもしれません。
日本の美は用の中にあると言われますが、日常に溶け込んだ道具から私たちは何を感じることができるのか。
実は杉本家住宅は屏風祭の会場としてだけではなく祇園祭の重要な場所なのです。
祇園祭の期間、綾小路通に面した表の間は山鉾のひとつである伯牙山の会所として、懸装品や装飾、御神体などを飾り、公開する「お飾り所」となっています
屏風祭とお飾り所を同時に行う場所は杉本家住宅以外に存在しません。
お飾り所で懸装品など鑑賞するのは無料なので、ぜひこちらも一緒にお楽しみください。
2019年7月に行われた祇園祭様子をレポート(写真あり)
7月10日~14日 山鉾建て(前祭)
7月10日から各鉾町で鉾と山が組み立て始めます。
四条通は鉾を建てるために道路の一部が通行規制されます。
今年の夏は雨の日が多く、鉾や山が完成しても鉾にビニールシートが掛けられていました。
7月12日~13日 鉾、山の曳(ひき)初め、舁(がき)初め(前祭)
7月12日から7月17日の前祭山鉾巡行に向け、実際に鉾と山が動きます。
音頭取の合図に合わせ、鉾が曳かれ、ゆっくりと動き始めると観客から誰ともなく拍手が起こりました。
7月13日 長刀鉾稚児社参
稚児は神様の化身とされ、7月17日の先祭山鉾巡行は稚児が綱を切るところから始まります。
毎年稚児が1人京都に縁深い家庭の10歳ぐらいの男子が選ばれます。
今年は有名老舗和菓子店「鼓月」の社長のご子息が選ばれましたね。
7月13日に八坂神社に社参して正式に神様の化身となります。
この日から7月17日に山鉾巡行が終わるまで、地面に降りることはなくなり、馬や剛力と呼ばれる屈強な男性の肩に乗って移動することになります。稚児には直接触れることもできなくなります。
現在稚児が乗る山鉾は長刀鉾だけです。
長刀鉾は山鉾巡行の先頭を行く鉾で、男性しか乗ることが出来ません。
7月14日~16日 宵山
7月14日~16日の間は建てられた鉾と山の提灯に灯りが灯ります。
建てられた鉾は実際に乗ることが出来ます。
夜には出店がたくさん道に並びます。15日と16日は四条通、烏丸通あたりは歩行者天国になり、人が溢れます。
しっかり鉾を見るのであれば日中、そして写真を撮ったり祭りを楽しむなら日が落ちてからがおススメです。
7月17日 前祭山鉾巡行
四条烏丸から前祭山鉾巡行が始まります。
四条烏丸から始まる山鉾巡行はそこから八坂神社方面に(東へ)向かい、四条河原町から北上します。
そして、河原町御池から二条城方面に(西へ)向かいます。新町御池まで巡行は続きます。
四条河原町と河原町御池では山鉾の向きを変える辻回しが行われます。
辻回しは山鉾巡行の目玉の一つで、迫力満点です。
前祭山鉾巡行は祇園祭の一番の目玉です。この日は多くの人が山鉾巡行を一目見ようと巡行ルートに集まります。
今年は山鉾巡行当日は晴れて炎天下の中見学しました。
もし、見に行くのであれば帽子と水はしっかり持っていくことが大事です。
7月18日~21日 山鉾建(後祭)
前祭の山鉾建と同じく、7月18日から21日の間に行われます。
7月24日 後祭山鉾巡行
後祭の山鉾巡行は前祭の山鉾巡行のルートを逆走します。
朝の9時30分から始まります。
この日は前祭のように道路規制をしっかりするわけでもなく、場所によっては鉾も信号待ちをしていました。
ただ、この日も見物する方は平日の午前中にもかかわらずたくさんでした。
今年は本当に雨の日が多かったのですが、前祭の山鉾巡行の時も後祭の山鉾巡行の時も不思議なのですが晴れました。7月23日は信じられない土砂降りでした。神様が晴れにしてくださったのかしら。
2019年祇園祭の感想
去年京都に移住して、今年は本格的に?祇園祭に参加し、多くの体験ができました。
参加して分かったことは、祇園祭中は本当に暑い!
こまめな水分補給、カフェ休憩必須です(笑)
宵山中は市内にゴミ回収ボックスや臨時のトイレが設置されており、本当に助かりました。
山鉾巡行や山鉾建など祇園祭中は1か月間多くの行事が京都であります。
観光に携わる者として、自身の経験を京都を訪れる方々がより京都を楽しめるように役立てたいと思っています。
また、祇園祭についての記事を書こうと思っていますので読んでいただけると幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございます。