伊藤若冲ゆかりの地・人物まとめ(ライジング若冲の撮影地もあり)

京都観光

「京都で伊藤若冲に関係する場所が知りたい」
「伊藤若冲が好きで京都旅行を考えている」
「2021年正月ドラマ『ライジング若冲』で若冲に興味を持った」

という方におすすめです。

この記事では、


◆伊藤若冲に関係がある場所(ゆかりの地)
◆伊藤若冲に関係がある人物(ゆかりの人物)
◆ゆかりの地へのアクセス方法記事の掲載


についてご紹介しています。

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伊藤若冲とは?


出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤若冲とは、江戸時代中期に活躍した京都生まれの画家です。

東の葛飾北斎と並び、西の伊藤若冲と言われるほど知名度があります。

1716年に京都錦市場(にしきいちば)にありました青物問屋(今の八百屋さん)である「桝源(ますげん)」で生まれました。

裕福な家に生まれたことで、子供の頃から絵を書くことができました。

若冲は若い頃、京都狩野派に学び、中国古画の研究を行いました。

また家で鶏(にわとり)を飼い、動きがある実物の写生を勉強したと言われています。つまり当時の画風(日本画、中国画、水墨画、写実画)のほとんどを学んだと言われています。

その後、独学で画を描きはじめ、伊藤若冲の代表作である「動植綵絵(どうしょくさいえ)」が誕生しました。

そんな伊藤若冲にゆかりがある場所が京都には存在しますので、ご紹介します。

2021年正月ドラマ「ライジング若冲」

2021年1月2日に放映された正月特別ドラマ「ライジング若冲」では、中村七之助さんが伊藤若冲を演じられ、美しき町絵師を素晴らしく表現されていました。

伊藤若冲ゆかりの人物(関係者)まとめ

若冲の良き理解者「大典顕常(だいてんけんじょう)」

江戸時代に活躍した大典顕常(だいてんけんじょう:1719-1801)は、滋賀県東近江市出身の禅僧です。

梅壮(ばいそう)という別号があることから「梅荘顕常(ばいそうけんじょう」と呼ばれることがあり、その他にも「北禅老人」、「大典禅師(だいてんぜんし)」とも呼ばれ親しまれていました。

大典顕常は、幼少期に日本三禅宗の1つである黄檗宗(おうばくしゅう)に入門します。
その後、京都五山に列せられる臨済宗(りんざいしゅう)相国寺の塔頭である慈雲庵に移り、1779年には相国寺113代館長となりました。

中国唐代、陸羽によって書かれた世界で初めての茶の本と言われる「茶経(ちゃきょう)」の注釈書「茶経詳説」を日本で初めて手掛けたことでも知られています。煎茶道の中興の祖として有名な売茶翁(ばいさおう)の詩偈集である売茶翁偈語(ばいさおうげご)の巻頭に『売茶翁伝(ばいさおうでん)』を記したりするなど、日本にお茶を広めるために尽力されていました。

NHKドラマ「ライジング若冲」において、人気俳優である永山瑛太(ながやまえいた)さんが演じたことで話題となった相国寺第113世館長大典顕常(だいてんけんじょう)は、漢詩をよく嗜み、京都でも最高の詩僧とされ、生涯で70冊以上もの書を著しました。

大典顕常と伊藤若冲

大典顕常は、伊藤若冲の良き理解者だったと言われており、若冲の他、同時期に京都で活躍した様々なアーティスト(絵師や文化人)達を支援しました。煎茶道の中興の祖である「売茶翁交遊外(ばいさおうこうゆうがい)」や旅好きな絵師として知られる「池大雅(いけのたいが)」、ライバルであった「円山応挙(まるやまおうきょ)」など、錚々(そうそう)たるメンバーが大典顕常を慕い、相国寺を訪れていたと言われています。

その中でも特に、伊藤若冲と大典顕常の関係は、かなり濃いものだったようです。
錦市場の青物問屋「枡屋(ますや)」の4代目当主でもありながら、絵に明け暮れていた伊藤若冲は、絵師としてさらに成長するために、何度も大典顕常に会いに相国寺へ足を運び、書や絵画、漢字について指導を受けていたと、相国寺に伝わっています。

大典顕常と伊藤若冲の深い関係をあらわすエピソードとして、伊藤若冲は、1765年にはあの有名な「動植綵絵(どうしょくさいえ」や「釈迦三尊像(しゃかさんそんぞう)」を相国寺に寄進し、鹿苑寺(金閣寺)の大書院障壁画(だいしょいんしょうへきが)も制作しました。
その作品は、現在、相国寺承天閣美術館で常設展示されています。

大典顕常が若冲と名付けた?

伊藤若冲に深く関わりがある人物として、若冲を紹介する際に外せない存在です。大典顕常は伊藤若冲を大変気にかけており、なんと「若冲」の名前は、大典顕常が漢詩の一文から若冲という名前を授けたと言われているからです。

大盈若沖其用不窮

大盈(だいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、其の用は窮(きわ)まらず

引用:老子・第四十五章から

こちらの一文から若冲の名前が付けられたと言います。意味は、【大きく満ちているものは何もないように見えるが、そのはたらきは尽きることはない】です。

こちらの漢詩は、若冲に影響を与えた売茶翁高遊外(こうゆうがい)と呼ばれる線茶道の中興の祖が、使用していた茶道具に描かれていたと言われています。

煎茶道の中興の祖「売茶翁」

売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい・1675-1763)は、江戸時代前期に活躍した黄檗宗の禅僧であり、法名は月海(げっかい)、還俗後は高遊外(こうゆうがい)とも称しました。

煎茶道の中興の祖として有名で、茶道界で有名な侘茶の祖・千利休(せんのりきゅう)に対して、煎茶道界の茶神・売茶翁(ばいさおう)として名が挙がります。

売茶翁は、肥前蓮池(佐賀市蓮池町)で誕生後、京都や仙台といった全国を渡り歩き、厳しい修行をした後、京都に落ち着き、京都東山で日本初のカフェ(喫茶店)である「通仙亭(つうせんてい)」をオープンしました。
そして、通仙亭を訪れる様々な人々にお茶を振る舞い、売茶業を営みながら生涯を送りました。
市中でお茶を振る舞いながら、禅を説くサロンのようなスタイルは徐々に評判となり、京都の貴族や知識人、庶民など格差関係なく多くの人々がこぞってお茶を飲みに来ていたと言われています。

売茶翁高遊外と伊藤若冲

書籍「煎茶への招待(小川後楽著)」によれば、売茶翁と伊藤若冲を引き合わせたのは、相国寺の大典和尚ではないかと言われています。禅に傾倒していた若冲は相国寺に一時期住んでおり、売茶翁と交流があった大典和尚は若冲の理解者であり支援者でした。

もう一つの可能性として言えるのが、京都市内で開かれていた売茶翁の茶席でありサロン「通仙亭」で、若冲は大典と出会ったのかもしれません。

出会うべくして出会った売茶翁・大典・若冲。
真実ははっきりとは分かりませんが、茶がつないだ縁と言うのは、歴史のロマンですね。

売茶翁が伊藤若冲と名付けた?

「若冲(じゃくちゅう)」という名前は、売茶翁が使用していた「水注(すいちゅう):水差し」と呼ばれる茶道具に描かれていた漢詩からとられたと伝えられており、伊藤若冲を語るにあたり、売茶翁の話題は外すことができません。

売茶翁が73歳の時、友人と下鴨神社は糺の森(ただすのもり)で煎茶を淹れて楽しんでいた時のこと。
当時まだ20代だった相国寺の大典顕常が、売茶翁の茶器「水注(すいちゅう)」に「大盈若冲」(たいえいはむなしきがごとし)と記しました。そして、この「若冲」が、画家・若冲の名の由来ではないかと言われています。

この時、伊藤若冲は32歳であり、売茶翁とは40才以上の歳の差がありました。祖父と孫ほど年齢が離れていました。


ー大盈若沖ー

「大盈(だいえい)は沖(むな)しきがごとくにして」

この言葉の出典は、中国の思想家・老子の書「道徳経」(通称「老子」)にあります。


この言葉の意味は、「大きく満ちたものは、まるで空っぽであるかのようである。これもまた、そのはたらきが窮る(終わる)という事が無い」です。


「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若く、その用は窮まらず」


「真に満ち足りているものは、空虚に見えても、その働きは尽きることがない」という意味です。

大典禅師はこの老子の言葉を、売茶翁の茶具に記しました。その全文を、「売茶翁茶器図」で確認することができます。
老子の言葉が記された茶道具は、今も相国寺に残っていると言われています。

ちなみに、若冲の「冲(chōng)」は、中国の方言「広東語」によると「お湯などを注ぐ」という意味があります。
お茶を淹れることは「冲茶」と書きます。

当時この意味を大典和尚が、売茶翁の茶道具である「水注(水やお湯を注ぐ道具)」に書いたとすれば、あまりにできすぎていて、「茶を飲み、楽しみながら、かけことばを書いたのではないか?」と考えてしてしまいますね。

私は、糺の森の鳥のさえずりや川を流れる水の音が聞こえる自然の中で、自由にお茶を楽しんでいる人々の姿が想像できます。

若冲は売茶翁の人物画を描いた?

若冲の作品は、動植物が中心であり、人物画はほとんど描いていません。

釈迦・寒山拾得・関羽・布袋・六歌仙など、過去の人物は描かれていることはありますが、自分と同時代を生きた人物の肖像画は「蒲庵浄英像」(萬福寺の第二十三代住持)くらいではないでしょうか。

若冲の絵は、動植物を主題とするものが多く、仏教の「山川草木悉皆仏性」に即したのではないかと思います。
そんな伊藤若冲ですが、売茶翁の肖像画は何度も描いています。
相国寺にも、若冲が描いた「売茶翁高遊外像(梅荘顕常賛)」が現在も残されています。
作品の中には、「求められたので何度も同じような絵を描いた」という面もあるかと思いますが、伊藤若冲は売茶翁を心から敬愛していたのだと思います。

売茶翁の絵としてイメージが浮かぶものは、道服を身にまとった売茶お翁、茶道具をぶら下げた天秤棒を肩に担いでいる絵です。左の網袋に入は茶道具らしきものが入れられています。
この絵の売茶翁は眼光が鋭く、天秤棒の木の質感がリアルに描かれています。目の色が薄く、異国風の印象を受けます。

売茶翁は自らのことを「黒面白鬚窮禿奴(黒い顔に白いヒゲ、貧乏なハゲ頭の男)」と表現していました(賣茶偶成三首より)が、描かれた絵を見ると、売茶翁の顔は白くて額が大きく、縮れた灰色の髪と髭の姿で描かれています。また福耳だったことがわかります。

同時代に活躍した絵師「円山応挙(まるやまおうきょ)」

円山応挙(まるやまおうきょ:1733-1795)とは、江戸時代中期に京都で活躍した絵師です。そして、日本画の形式である「円山派(まるやまは)」の租となった人物です。
京都府亀岡市に生まれた応挙は、真言宗金剛寺(しんごんしゅうこんごうじ)に預けられ修行に努めた後、京都にあがり、書画骨董や人形、玩具類を扱う玩具商「尾張屋(おわりや)で住み込みで働くことになります。

この尾張屋は、外国から輸入した製品を取り扱うことが多く、円山応挙はここで当時は珍しかった「眼鏡絵(めがねえ)」に出会ったといわれています。眼鏡絵は、江戸時代に描かれた浮世絵の1種で、原画は絵や文字が左右反対に描かれていることが特徴。

尾張屋の亭主であった中島勘兵衛(なかじまかんべえ)は、円山応挙が描いた眼鏡絵を見て、絵の才能を見抜き、日本画で評判が高かった狩野派の画家である石田幽汀(いしだ ゆうてい)の元に入門させました。

円山応挙の絵は写実的(しゃじつてき)で、見たままの姿を写し描くとことを得意としていました。
今でこそ精密に絵を描くことが普及していますが、江戸時代の日本画は抽象的なものや、どこかを強調している作品が多く、写実的に描かれた作品は少なかったです。
その中で、円山応挙の目で見た情景を繊細に描かれた写真のような絵は、珍しがられ、人気がありました。

円山応挙と伊藤若冲

18世紀、近隣で暮らし、画業の道を貫いた二人の絵師の人生は対極的で、青果問屋の大店の長男として生まれた伊藤若冲は、野菜や魚や鶏などあらゆる命と向き合い、観察力を磨きました。
一方、円山応挙は貧しい農家に生まれ、10代から〝生きるため〟の絵を描き始めました。

光と影で表現されることが多い2人の天才は、京都が育んだ良きライバルだと言われています。

伊藤若冲(関連人物)ゆかりの地

【錦市場】@京都

錦市場は、京都市中京区のほぼ中心に位置しており、南北にのびる錦小路通りの間に存在する食品販売店が数多く並ぶ商店街は、観光客のほか地元の方の生活に欠かせない場所です。

京都の人々の食を支える錦市場は、魚や肉、野菜などあらゆる食材や加工食品が並ぶので「京の台所」とも呼ばれています。

・京都駅から錦市場へのアクセス方法はこちら

錦市場の詳細情報
住所:〒604-8054 京都府京都市中京区西大文字町609番地
問い合わせ先:店舗によって異なります。
アクセス:阪急電車「烏丸駅」もしくは「京都河原町駅」から徒歩5分
公式ホームページ:https://www.kyoto-nishiki.or.jp/

錦市場と伊藤若冲

京都を代表する観光地の一つである錦市場は、伊藤若冲の生まれた場所でもあります。現在は、伊藤若冲の生まれた青物問屋(今の八百屋さん)「桝源(ますげん)」は残っていませんが、同じ場所に「錦そや」というお豆腐屋さんがあります。

また、錦市場にあるお店のシャッターには、若冲のゆかりの場所ということで、若冲の描いた作品がプリントされています。

お店が閉まってひっそりとした錦市場は、若冲の作品が並ぶナイトミュージアムになりますよ。

【相国寺】@京都

京都五山の一つに数えられる禅寺「相国寺(正式名称:萬年山相國承天禅寺(まんねんざんしょうこくじてんぜんじ)」は、14世紀末、室町幕府3代将軍である足利義満(あしかがよしみつ)によって建てられました。

芸術を嗜む(たしなむ)学僧を数多く輩出したお寺として有名です。
相国寺の学僧たちは、中国の文学や水墨画も学び、芸術にも秀でていたそうです。

伊藤若冲の他、池大雅(いけのたいが)や円山応挙(まるやまおうきょ)といった有名な芸術家ともゆかりがあるお寺。

相国寺では、伊藤若冲にちなむ御朱印をいただけます。

・京都駅から相国寺へのアクセス方法はこちら

相国寺の詳細情報
住所:〒602-0898 京都府京都市上京区相国寺門前町701
拝観時間:10時~16時
問い合わせ先:0752310301
アクセス:京都市営地下鉄「今出川駅」から徒歩5分
公式ホームページ:https://www.shokoku-ji.jp/

相国寺と大典顕常

NHKドラマ「ライジング若冲」において人気俳優である永山瑛太(ながやまえいた)さんが演じたことで話題となった大典顕常(だいてんけんじょう)は、相国寺第113世館長を努めた高僧であり、漢詩をよく嗜み、京都でも最高の詩僧とされ、生涯で70冊以上もの書を著しました。

11歳で相国寺の塔頭・慈雲院(じうんいん)で得度した大典顕常は、独峰慈秀の下で禅の修行に励み、学問においては、宇野明霞(うのめいか)や大潮元皓(だいちょうげんこう)に儒教古学の一派である古文辞学(こぶんじがく)を学びました。

相国寺と伊藤若冲

伊藤若冲は30代の頃、大典顕常と出会ったことで禅に興味をもち、相国寺の塔頭に住むことになり、そこから参禅して「若冲 居士」の号を得たそうです。

相国寺の塔頭の一つである松鷗庵(しょうおうあん)には、伊藤若冲のお墓が建てられており、墓石には大典の撰文による「若冲居士寿蔵碣銘」が刻まれています。

相国寺承天閣美術館(伊藤若冲美術館)

相国寺の境内にある承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)は1984年に、相国寺の創建600年記念事業の一環として開館しました。

館内では、相国寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)、他塔頭寺院が所蔵する数々の美術品が展示されています。
展示品には、鹿苑寺の大書院旧障壁画である「月夜芭蕉図」など伊藤若冲の作品が多いことから、この美術館は「伊藤若冲美術館」とも呼ばれています。

【宝蔵寺】@京都

宝蔵寺(ほうぞうじ)は、京都市中京区にある浄土宗西山深草派のお寺で、伊藤若冲が生まれた錦市場からも歩いて行ける場所にあります。

・京都駅から宝蔵寺へのアクセス方法はこちら

【石峰寺】@京都

黄檗山万福寺を本山とする黄檗宗のお寺で、宝永年間(1704年~1711年)に第6世千呆(せんがい)によって建てられました。
本尊は慶長元年(1596年)に発見された薬師如来でしたが、その後本堂が焼失してしまったため、現在は釈迦如来が祀られています。

・京都駅から石峰寺へのアクセス方法はこちら

石峰寺の詳細情報
住所:〒612-0883 京都府京都市伏見区深草石峰寺山町26
問い合わせ先:075-641-0792
拝観時間:午前9時~午後4時
拝観料金:大人/300円、小人/200円
アクセス:JR線稲荷駅/京阪深草駅から徒歩5分
公式ホームページ:https://www.sekihoji.com/

石峰寺と伊藤若冲

天明8年(1788年)に「天明の大火」で京都の家を失った若冲は、大阪や京都を転々とした後、70代後半から石峰寺の門前に草庵を結んで隠棲し始めました。

晩年の一大事業として有名な石峰寺の「五百羅漢」の石像制作もこの時に始めました。年老いた身の上、生活も困窮していたと言います。
そんな伊藤若冲は、売茶翁の生き方に憧れ、「斗米庵(とべいあん)」や「米斗翁(べいとおう)」と名乗っていました。その名の通り、絵一枚を米一斗(銀六匁)としてお金を稼ぎ、生活を送っていました。
伊藤若冲は売茶翁と同じく、結婚しておらず、妻や子供がおらず生涯独身であったからこそ、できた生き方だったでしょう。

83才頃、石峰寺の観音堂の天井画「四季花卉図)しきかきず)」を描きました。現在、四季花卉図は、168面が京都の信行寺、15面が滋賀県の義仲寺に渡り、所蔵されています。

寛政12年(1800年)、85才で亡くなるまで絵を描き続け、亡くなる年にも「鷲図」「伏見人形図」を完成させました。
亡くなる最後まで筆を折流ことなく、絵師としての生涯を終えた若冲のお墓は石峰寺境内にもあり、墓石には「斗米庵 若冲居士墓」と刻まれています。

宝蔵寺と伊藤若冲

若冲の親族の菩提寺である宝蔵寺は繁華街の近くにひっそりと存在し、知らない方はスッと通り過ぎてしまうお寺ですが、宝蔵寺は若冲の作品が所有しており、作品「髑髏図(どくろず)が描かれた御朱印がいただけることから伊藤若冲や御朱印が好きな方に知られています。

境内には、若冲が親のために建てた墓石が宝蔵寺を訪れた方が拝めるように、置かれていますよ。

宝蔵寺では不定期で若冲の絵画の展示会が開かれていますので、気になる方は公式ホームページを確認してみてはいかがでしょうか。

宝蔵寺には伊藤若冲にちなむ限定の御朱印がいただけます。


宝蔵寺の詳細情報
住所:〒604-8041 京都府京都市中京区裏寺町587
問い合わせ先:0752212076
拝観時間:10時~16時
アクセス:阪急電車京都線「四条河原町駅」から徒歩10分
公式ホームページ:http://www.houzou-ji.jp/

黄檗宗大本山【黄檗山萬福寺】@京都

京都府宇治にある日本三禅宗の一つ「黄檗宗(おうばくしゅう)」の大本山である黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は、16世紀に中国からの渡来僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)によって建てられました。

建物は、明朝方式の伽藍配置はお寺全体で龍の姿を表現していると言われています。

広大な境内では、現在も毎日修行僧が厳しい修行に励まれています。

・京都駅から萬福寺へのアクセス方法はこちら

黄檗山萬福寺の詳細情報
住所:〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
問い合わせ先:0774-32-3900
拝観時間:9時~17時(受付終了午後4時30分)
アクセス:JR奈良線/京阪宇治線「黄檗駅」から徒歩5分
公式ホームページ:https://www.obakusan.or.jp/

萬福寺と売茶翁

伊藤若冲の名付け親である売茶翁交遊外(ばいさおうこうゆうがい)は、黄檗宗のお坊さんであり、萬福寺で修行に励んでいた時期があります。

売茶翁を祀る「売茶堂」

このお寺で、売茶翁は修行されていたこともあり、売茶翁を祀る「売茶堂(ばいさどう)」があり、堂内には、非公開ではありますが、木彫りの売茶翁坐像(加納鉄哉作)が安置されています。

売茶堂は、昭和3年に建てられ、その後昭和46年に再建されています。

売茶翁の月命日である、毎月16日には「売茶忌(ばいさき)」が営まれ、法要と献茶が行われています。

全国煎茶道大会(国内最大規模の煎茶のお茶会)と月見茶会

【全国煎茶道大会】
売茶翁は茶道の一種である煎茶道(せんちゃどう)の中興の祖とされており、その売茶翁が修行をしていた萬福寺の境内には、全国の煎茶道の流派をまとめる「全日本煎茶道連盟」の本部もあります。

全国煎茶道大会は、全日本煎茶道連盟が主催する煎茶道のお茶会で、毎年5月下旬の土曜日・日曜日に行われます。
萬福寺の開山堂に祀られた隠元隆琦と売茶堂に祀られた売茶翁への献茶式が執り行われ、連盟に所属している全国の煎茶道流派がそれぞれお茶席を設けます。
日本国内で行われる最大規模の煎茶のお茶会なので、煎茶道に興味がある方におすすめですよ。

【月見茶会】
月見茶会は、毎年11月下旬の土曜日・日曜日に全日本煎茶道連盟が主催する煎茶道のお茶会です。
全国煎茶道大会と同じく、お茶会と献茶式が行われますが、参加する煎茶道の流派は関西の流派に限られるので、規模は全国煎茶道大会に比べ、小さくなります。
しかし、月見茶会では夜間ライトアップされた境内の幻想的な雰囲気の中でお茶会を楽しむことができます。

萬福寺と伊藤若冲

若冲は、萬福寺の「境内図」や、隠元禅師ゆかりの「隠元豆図」(和歌山県・草堂寺蔵)、黄檗宗・海宝寺に障壁画「群鶏図」を描いています。黄檗宗の寺院「閑臥庵」には、若冲の十二支版木があり、その歳の干支のみ刷ったものが展示してあります。

鶴亭などの黄檗僧の画風の影響も受けていまし、若冲にとって黄檗宗との関わりはとても深いものでした。

萬福寺と大典顕常

幼き頃、禅を学んだ黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の塔頭「華厳院」

大典顕常は、8歳で黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の塔頭である華蔵院(けぞういん)に入門しました。

【福寿山金剛寺(一名応挙寺)】@京都

福寿山金剛寺(こんごうじ)は、京都府亀岡市にある臨済宗天龍寺派のお寺です。

毎年11月には、金蔵寺所蔵の応挙の作品が一同に公開される「応挙展(おうきょてん)」が開催されます。


金剛寺の詳細情報
住所:〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43
問い合わせ先:0771-22-2871
拝観時間:お問い合わせください
アクセス:京阪京都交通バス おばた橋バス停より徒歩3分
公式ホームページ:https://www.kongouji.net/

金剛寺と円山応挙

円山応挙は、このお寺で幼少時期(8才〜15才)の間、小僧として生活を送っていました。所縁があることから、金剛寺は応挙寺(おうきょでら)とも呼ばれています。

応挙は、56歳の時に金剛寺本堂の襖(ふすま)に作品を描きました。
本堂全面の襖57面に描かれた「山水図(さんすいず)」「群仙図(ぐんせんず)」「波濤図(はとうず)」は、現在、国の重要文化財に指定されています。

【円満院門跡】@滋賀

円満院(えんまんいん)は、近江を代表する三井三門跡(みいさんもんぜき)の一つであり、寛和三年(987年)に、村上天皇の第三皇子悟円親王により建てられた天台宗のお寺。

建てられた当初は、あまりの見事さに「近江の平等院」と呼ばれていました。

円満院境内には、後水尾天皇ゆかりの宸殿(しんでん)があるなど、内裏のような優美で風流な雰囲気を感じます。


円満院門跡の詳細情報
住所:〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町33番地
問い合わせ先:077‐522‐3690
拝観時間:午前9時~午後4時30分
アクセス:京阪三井寺駅/大津市役所前駅から徒歩10分
公式ホームページ:https://enman-inn.com/

円満院門跡と円山応挙

円山応挙の代表作である『七難七福図』、『孔雀牡丹図』などは第二次大戦後まで三井寺円満院に伝来したものであり、『雪松図』は三井家に伝来したものです。

【大乗寺】@兵庫

亀居山大乗寺(かめいさんだいじょうじ)は、国立公園に指定されている山陰海岸(さんいんかいがん)にあります。天平17年(745年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開かれた高野山真言宗のお寺です。


大乗寺の詳細情報
住所:〒669-6545 兵庫県美方郡香美町香住区森860
問い合わせ先:079‐636‐0602
拝観時間:午前9時~午後4時
拝観料金:大人/800円、子供(小学生)/500円
アクセス:山陰線香住駅からタクシーで5分
公式ホームページ:http://www.daijyoji.or.jp/

大乗寺と円山応挙

円山応挙やその一門の画家たちが描いた襖絵(ふすまえ)などの作品を数多く所蔵しているので「応挙寺(おうきょでら)」の名前で人々に親しまれています。
円山応挙がまだ無名の頃に、大乗寺の住職「密蔵上人(みつぞうしょうにん)」に、絵の才能を見い出され、銀三貫目をいただいたと伝わっています。

それをもとに江戸で学び、人気を手に入れた円山応挙は、後に息子や弟子と共に、大乗寺を訪れ、仏間他13余りの部屋の襖絵を描いたといわれております。